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七五三体験談その1 〜母との思い出〜

 

七五三のお宮参り

一人息子の七五三と日程合わせ
私には息子が一人います。今年で15歳になるので今から約10年前に七五三のお参りを行いました。
お参りした場所は、私の嫁ぎ先である旦那さんの実家近くの神社で、愛知県豊川市の砥鹿神社といいます。地元では有名で西暦701年建立の由緒ある神社です。「うちはいつもそこにお世話になってるのよ。みんなそこで七五三やってるんだから。」という、お姑さんの一言で決まりました。せっかくだから、七五三用の衣装も、ということになり、地元のお店や写真館を選んでくださったり、どんどん段取りが決まっていきました。
私は東北から嫁いできており、この辺りのことは何もわからないので、てきぱき決めてくださるお姑さんに感謝しています。
が、そこからが大変でした。たかが七五三、されど七五三です。私達夫婦、両方の親が七五三に一緒にお参りしたい、ということになりました。私達の子供にとっては、じいじとばあばになるわけですが、彼らが参列するので、まずは日取りを合わせなければなりませんでした。
日取りは、11月の土日のうち、主人が仕事のない日、ということで、他の皆さんも合わせてくださり、割とすぐ決まりました。次に、当日前後の予定ですが、それがなかなか決まりませんでした。
当時私達家族は三重県に住んでおり、夫方の両親は愛知県、私の両親は福島県にそれぞれ在住していました。私達が帰省するときには、高速に乗り車で3時間半かかります。
砥鹿神社は愛知県豊川市にあり、近くに住む夫の両親はいいとして、皆が愛知県に集まることになります。東北からでは、日帰りではすまない距離なので、泊まる所も探さなくてはなりません。
当初、私達は旦那さんの実家に、私の両親はホテルへ、と決まりかけたのですが、「いやいや、はるばるいらっしゃるのにウチに泊めないわけには。ぜひとも!」と、お姑さんがおっしゃってくださり、それでも私の実家では「いえいえ、ご迷惑をおかけするには」とやんわり断ろうとし、遠慮やら押し問答が始まりました。しかもそれが当事者同士ではなく、私が間に入り伝言板のようになっていました。
何度かやり取りの末、「それでは、お言葉に甘えて」と私の両親が、主人の実家に泊まることになり、やっと一安心ほっとしました。

当日は快晴

前日には私の両親が新幹線で、私達は車で、と愛知県に皆が揃い、子供は大喜びで、「じいじ、ばあば」と楽しそうにはしゃいでいました。
次の日は青空が広がり、大変良いお天気でした。当日の服装は、というと。大人はスーツやワンピースといった礼装ですが、息子のために子供用の袴をレンタルしておいたので、まずは着替えるところからです。まだまだ小さいので、なかなか着てくれなかったり、じっとしておらず四苦八苦しながら着せました。神社へ着いてからも、大勢の人で賑わう境内を歩きながら、衣装を汚さないように、うっかり怪我をしないように、と注意したのを覚えています。お祓いの予約時間までかなり時間があり、いざという時に子供は飽きてしまいましたが、なんとか済ませることができました。
最後に写真撮影ですが、これも苦労しました。まずは一人で千歳飴を持って鳥居の前で撮りました。次に両親と、さらに次に祖父母と、と何枚も写真を撮るのですが、これも段々と辛抱できなくなり、柱に寄って、だらーんと、ご機嫌斜めな写真も残っています。
写真館で前撮りした、お澄まし顔で綺麗に撮れているものもあるので、もし当日天気が悪かったり、子供がぐずって泣いてしまって、うまく写真が撮れなくてもいいかな、と安心していました。後になって思いましたが、写真館やスタジオでの写真は保険の意味もあるかもしれません。前もって撮ってあることで、心に余裕もありますし、衣装も貸してもらえて写真も撮れるし、いいこと尽くしですね。
さらに言うならば、快晴の日、神社の本殿前で撮るのもまた良いものでした。遠路はるばる来てくれた祖父母とも一緒に良い写真も撮れましたし、本当に良かったと思っています。

またもや押し問答

無事、七五三のお参りも済んで、今度はお食事です。前もって予約していた和食処で、皆楽しく過ごすことができました。食後、さて帰ろう、という時に、お店のスタッフを呼んでさあ会計、という時です。会計用の伝票を掴んだお姑さんでしたが、私の母が「ここは私が」と伝票の挟んであるカードを引っ張り、「いえいえい、そういう訳には」とお姑さんが引っ張り返し、どちらも譲りません。私は恥ずかしいやら、夫も「やめてよー」と呆れ顔でした。

間に挟まっていたお店の方が、「あのぅー、すみません、まだ会計計算途中なんです……」と小さな声で申し訳なさそうに口を開きました。
そうです、まだ、伝票に記入していなかったのです。コース料理に加えビールやソフトドリンクの金額を記入し、合計金額を出すようでした。
そして、引っ張り合いしていた伝票をお店の方へ渡し、合計金額を記入していただいた後、なんとか無事に、お姑さんが支払いを終えました。私の母は根負けして、馳走に預かる次第となりました。
今となっては笑い話ですが、あの時は大変恥ずかしい思いをしました。もちろん数え5歳の息子は何も覚えていません。

そして夫の実家へ

「まぁー! お母さん(ここではお姑さんに対して)には散財させてしまって申し訳ないです。ご馳走になってありがとうございました。」と私の母が申し訳なさと有難さ半々と言った感じで、お礼を申し上げました。
お姑さんは恐縮したように、「そんなことありませんよー、来てくださるだけいいんですのに。」と、お互いにお礼の挨拶が始まりました。
もう家の中なので、安心して?その様子を眺めていましたが、ここで私の母が、七五三御祝の金一封を渡そうとしたのですが、これもまたお姑さんが「とんでもない!」と受け取ろうとせず、またもやひと騒動でした。これも思い返してみれば、微笑ましいエピソードの一つです。
私はあまり詳しくないのでわかりませんし、地方によって習慣など色々違うかとは思いますが、何から何までお姑さん側に出してもらうのも申し訳なく、私の実家から受け取っても良かったのでは、とも少し思いました。
結局、「それでは、孫にあげるのならいいわよね」と息子宛に頂くことになり、これにて一件落着、となった長い七五三のお参り日を終えました。
ちなみに、影がうすいそれぞれの祖父達ですが、一緒に七五三をお祝いしてくれました。

最後に

実は、私の母は癌を患っていました。息子が2歳の時に癌が発覚し、それから長い間入退院を繰り返していました。七五三へ参列してくれた時も闘病中でした。放射線治療で一度は髪が全部抜けてしまったのが、ようやく生え揃って髪の長さがショートヘアになった頃でした。初孫であり、たった一人の孫でもある私の息子ですが、節目節目の行事に行けることを楽しみにしていたようです。「髪が見苦しくなくてよかったー。七五三に行けてよかったわー」と喜んでいました。
その後、息子が小学2年の冬、母は亡くなりました。遺影の写真を選ぶとき、とってもにこやかな笑顔の写真が見つかりました。それが、七五三お参りの時の写真です。
青空の下、孫を真ん中にして私の両親が後ろへ立っています。母は満面の笑みで佇んでいました。実家へ帰省し、仏壇へ手を合わせる度にその遺影を見て、七五三の頃を思い出します。
お母さん、節句や七五三など、いつも来てくれてありがとう、これからも見守っていてね、と、そう思います。

 

753記念撮影・衣装レンタル

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